• 山本梓が結婚した梶原吉広とは?

    現在はシンガポールに在住?

  • 元グラビアアイドル・山本梓さんについて

     

    簡単なプロフィール

    2001年に芸能界デビュー。人気グラビアアイドル、タレントとして活躍していた山本梓さん。

    2014年1月28日に、ソーシャルゲーム会社gloopsの創業者、梶原吉広さんとご結婚されました。

    結婚を機に芸能活動を無期限休止し、現在はシンガポールで生活を送っているようです。

     

    名前:山本梓

    生年月日:1981年4月24日

    出身地:千葉県船橋市

    所属:トミーズアーティストカンパニー

    学歴(出身高校):専修大学松戸高校

    身長:157 cm

    血液型:A型

    趣味:クラシックバレエ、ピアノ、ペットのワンちゃんと遊ぶこと

    特技:韓国語会話、英語スピーチ(千葉県コンテストで優勝!)

    出演作品:

    「忍風戦隊ハリケンジャー」シリーズ(2002年)

    忍風戦隊ハリケンジャーシリーズは、子供から大人までファンの多い特撮テレビ作品。

     

    スーパー戦隊シリーズモノとして発表されたハリケンジャーは、忍者学校に通う若者たちが伝承に残された忍者「ハリケンジャー」へと変身し、悪の宇宙忍者ジャカンジャ達と戦う!というストーリーです。

     

    山本梓は敵のジャカンジャにいる宇宙忍者「フラビージョ」として出演し、注目を集めていました。

     

  • 山本梓さんの経歴とは

    撮影

     

    ~山本梓さんの経歴~①雑誌読者モデル

     

    1981年4月24日生まれ

    2001年、山本梓さんは芸能界デビューを果たしました。

    グラビアアイドル時代は「あず」「あずあず」の愛称で親しまれていました。

     

    船橋市立習志野台中学校を卒業後、専修大学松戸高等学校に入学。

    学生時代に千葉県内の英語スピーチコンテストで優勝した経験があります。

    あまり知られていないですが英語が得意だそうです。

     

    そして1997年に「第7回全日本国民的美少女コンテスト」に応募しますが、予選落ちでした。

    しかし、芸能界に入りたいという夢を諦めきれず高校生の時に「東京ストリートニュース」という雑誌の読者モデルになります。東京ストリートニュースは学研パブリッシングが出版していた雑誌の1つです。当時は学習研究社という名前でした。

    通称「ストニュー」というあだ名もついており、様々な有名人が登場した雑誌としても有名ですよね。

     

    当時「ストニューは芸能界の登竜門」とも言われていて、俳優として有名な妻夫木聡なども出ていたこともあります。

    芸能界に入りたい、お洒落に興味のある高校生たちが積極的に買い求め、最新情報を得ていたのがこの東京ストリートニュースだったとか。

    その後、若い女性に人気のあった雑誌「Cawaii!」の読者モデルになり、これがきっかけとなり芸能界入りします。

     

    Cawaii!は若年層女子の中でも、特にギャルに人気のある本でした。名前の由来は当然、「カワイイ」ことからきているのだそうです。かなり人気だったそうで、外国語でも発行されたそうです。山本梓のような今旬!と言われていたモデルの写真をたくさん掲載していたようです。

     

    モデルとして人気になった後は、グラビアにも挑戦しています。山本梓さんはそのプロポーションにも定評があり、なんと11冊目の写真集にも挑戦しています。11冊目の写真集である【Az USA】では、30代ならではの魅力を表現していると話題になっていたそうです。今までに比べてもインパクトの強いカットが多く、ファン必見の1冊になっているそうです。

     

    山本梓さんは2014年に発売された今野杏南さんなど人気グラビアアイドルが女性兵士に変身したカレンダーにも登場しています。こちらは防衛省が編集に協力している自衛隊オフィシャルマガジン「MAMOR」の付録だったようで、なぜか中国でとても話題になったんだとか。

     

    英語が特技だからこそ、シンガポールでの生活にも踏み出せたのかもしれません。

    シンガポールの公用語は英語なので、会話に問題がなければその生活のしやすさは段違いです。

    梶原吉広さんもシンガポールで働き、プログラムを組み立てるウェブサービスを運営していたからには、職業柄英語に触れる機会も多いでしょう。そういった二人だからこそ、シンガポールで結婚をというスタートを切れたのかもしれません。

     

    梶原吉広さんと山本梓さんは、その後も順調な結婚生活を送っているというお話も出ましたね。お二人の間に赤ちゃんが生まれたという情報がブログで公開されたときは、多くのファンが感激したということです。お父さんの立ち合いの元、生まれた赤ちゃんと共に山本さんはマタニティーライフを満喫しているとのことです。

    レンジャー

     

    ~山本梓さんの経歴~②戦隊の悪女役

     

    2000年に放送された第26作スーパー戦隊シリーズ「忍風戦隊ハリケンジャー」では、フラビージョ役として出演。

    実は山本梓さん、もともとは戦隊側の役がやりたくてオーディションを受けていたそうです。

     

    最終選考の際は“動きやすい服装で”という指定があったにもかかわらず、本人まで連絡が届いていなかったようです。そのため、山本梓さんはスカートにブーツで参加したらしいです。

     

    他の参加者は、スニーカーにジーンズというラフな姿だったため、かなり目立っていたそうです。(同じグラビアアイドルの長澤奈央さんのブログにも書いてありました)

     

    これが担当者の印象に残り、フラビージョ役に起用されたというエピソードがあります。

     

    山本梓さんのフラビージョは話題となり、TVシリーズの放映が終了後も「爆竜戦隊アバレンジャーVSハリケンジャー」や「特捜戦隊デカレンジャー THE MOVIE フルブラスト・アクション」、「轟轟戦隊ボウケンジャーVSスーパー戦隊」などの作品にもゲスト出演しています。

     

    2002年には三愛水着のイメージガールを務め、スーパー戦隊シリーズ「忍風戦隊ハリケンジャー」にレギュラー出演するなど、数々と仕事が舞い込みます。写真集などにも多く登場しており、様々な場所で活躍しています。

     

    日本国内でももちろん人気ですが、中国でも話題となった写真集があるほど!

    その際は他のモデルやアイドルたちと一緒に、自衛官に扮したりしたカレンダーに登場しています。

    バイクに寄りかかっていたり、資料を手にカメラへ視線を送っていたり、昔ながらの銭湯から出てきているシーンだったり。そんな写真集に可愛いという声が多く出たと言うエピソードもあるぐらいです。

     

    こうして徐々に知名度を上げていき、グラビアアイドルとして人気を誇っていました。

    バラエティー番組ではタレントとして活躍していました。

     

    2013年には「忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER」にて6年ぶりにフラビージョとして復活。

    多くのファンが喜び、話題となりました。

  • 梶原吉広さんについて

     

    梶原吉広さん

    簡単なプロフィール

    梶原吉広さんは実業家で、ソーシャルゲーム・webサービスの開発・運営を行う株式会社gloopsの創業者です。

    gloopsは「大熱狂!!プロ野球カード」や「大戦乱!!三国志バトル」などのソーシャルゲームで知られています。

     

    名前:梶原吉広(かじわらよしひろ)

    生年月日:1979年7月26日

    出身地:福岡県北九州市

    学歴(出身高校):不明

    経歴:gloopsの創業者で元社長

     

    梶原吉広さんは高校卒業後に服飾の専門学校に入学しています。ファッションデザイナーを夢見ていたそうで、ゲームとはかけ離れた生活を送っていたようですね。しかし、卒業生でファッションデザイナーになる人は少ないことを知り、夢を諦め上京を決意したそうです。上京後は300万円ほど資金を貯め、2005年にgloopsを設立しました。

     

    梶原吉広さんは元々起業したいと考えており、どのみち起業するなら東京で成功したいという気持ちが強かったため、上京してきたといいます。上京のタイミングやきっかけは人それぞれですが、ほとんどが進学や就職のためなのではないでしょうか。起業のために上京というのは、相当の覚悟が必要だったと思います。また、東京でやっていける自信もあったのでしょう。

     

    しかし、上京してから満員電車がきつかったようです。専門学生時代は電車で学校に通っていたので、ある程度の混雑には慣れていたつもりだったけれど、東京の満員電車は予想をはるかに超えていたそう。また、梶原吉広さんは福岡での移動手段は主に車だったといいます。上京してからは資金調達のため車を購入しているどころではなかったため、どこへ行くにも電車移動で辛かったようです。

     

    九州から上京してきた梶原吉広さんは、上京したての頃、東京の醤油が甘くないことにびっくりしたそうです。九州の醤油は東京でいう刺身醤油と同じくらい甘いため、スーパーで醤油を購入して口にした時に衝撃を受けたと語っていました。人の多さや習慣など、ほかにも色々カルチャーショックがあったことでしょう。そんな中、会社設立のためがむしゃらに頑張ってきたのではないでしょうか。

     

    gloopsが開発した「渋谷クエスト」はソーシャルゲームの草分け的存在だったといいます。「渋谷クエスト」リリース後に「怪盗ロワイヤル」が登場。当時人気を博した「怪盗ロワイヤル」から、ソーシャルゲームは限られた時間の中で成果が出ること、他人との繋がりが大事だと感じたようです。これが梶原吉広さんのソーシャルゲームに対する第一印象なのではないでしょうか。その後、モバゲータウンでリリースした「渋谷クエスト」は「怪盗ロワイヤル」を参考にして改良を行ったそうです。

     

    渋谷クエストは、あっという間に会員数が50万人に達したそう。モバゲーに参加することでトラフィックが伸びると見当を付け、サービス開始前にできる限りの準備を行ったにも関わらず、サーバーダウンを繰り返してしまったようです。梶原吉広さんは当時のことを振り返り、「今考えるとソーシャルゲームのサービスとしてはかなり問題がありましたね。あの時は大変でしたが、本当に貴重な経験ができました」と語っています。

     

    梶原吉広さんが便利だなと思う携帯アプリは、PCM録音ボイスレコーダーだそうです。会議の時などに役立ちそうですね。AppStoreでもビジネスカテゴリに上位に君臨するアプリで、動作の軽さと操作性の良さが人気の秘訣のよう。録音形式も、圧縮と非圧縮が選べます。長時間録音にも対応できるのが嬉しいポイントでしょう。

     

    梶原吉広さんはほかにも「Singapore Maps」というアプリを挙げています。シンガポールに移住してからというもの、Google Mapsよりもお世話になっている地図アプリだそうです。地図のみならず、電車やバスの経路も簡単に調べられ、どこかへ出かける時に重宝しているといいます。オフライン用アプリをダウンロードすれば、ネット環境がなくても現在地の確認や地図を見られるようです。

     

    幼少期はジブリ映画「天空の城ラピュタ」に出てくるロボット兵が怖かったという梶原吉広さん。すでに壊れていると思っていたロボットが再起動したところや目から出るレーザービーム、手足が蛇腹で這いつくばる動きがなんだか不気味で印象に残っているそうです。

     

    梶原吉広さんが幼少期に得意だった器械運動は、鉄棒だそうです。初めて逆上がりをした時も苦労した記憶はないらしく、身軽だったようですね。鉄棒にはまっていた時期は、休み時間中ぶら下がっていたこともあるのだとか。しかし、体育の授業であまり鉄棒は実施されなかったようで、少し残念だったと語っています。

     

    また、球技では野球が得意だったそうです。小さな頃から野球を頑張っていたため、gloopsでも野球のゲームをリリースしたり、野球に関する社会貢献プロジェクトを行っていたのでしょう。梶原吉広さんはほかにも、サッカーもバスケットボールも好きだったようです。バレーボールも得意だったそうですが、突き指が痛かった思い出が強く、ほかの競技の方が好きとのことです。

     

    また、幼少期の頃から家庭用ゲームが大好きだったそうです。梶原吉広さんが幼少期だった1980年代といえば、まさにコンピュータゲーム黄金期。今やソーシャルゲームで大成功を収めましたが、もしかするとソーシャルゲームに手出したのも幼い頃に家庭用ゲームに興味を持ったことが少なからず影響しているのかもしれませんね。

     

    特に梶原吉広さんは、ドラクエやFFといったRPGゲームにハマっていたのだとか。最新作を買うためにゲーム屋さんに並んだこともあったそうです。ちなみに、ドラクエなら3が、FFなら2が好きだということでした。徹夜でプレイしたこともあるという話です。

    そのせいで学校の授業中眠くて仕方なかったと語っています。梶原吉広さんは、一度集中すると没頭してしまうタイプのようです。昔は好きなタイミングでセーブができなかったので、キリの良いところまで進めていたら朝だった…ということもあったかもしれません。このように幼少期に夢中でプレイしたゲームの数々が、後のゲーム開発に影響を与えたのではないでしょうか。

     

    数ある家庭用ゲーム機のなかでもスーパーファミコンが好きだったという梶原吉広さん。もちろんPS4など最新のゲーム機も好きだそうですが、今プレイしても楽しいなぁと思えるのはスーパーファミコンのソフトが多いそうです。昨年発売されたクラシックミニ スーパーファミコンももちろん購入したそうで、懐かしみながら時間があればプレイしているんだとか。

     

    そんな家庭用ゲームが大好きだったという梶原吉広さんですが、思い出のある場所として実家の近くにあった中古ゲームソフトショップを挙げています。特に用がなくても立ち寄っていたそうで気になったソフトは片っ端からチェックしていたんだとか。相当ゲームが好きだったことが伺えます。

     

    ちなみに家庭用ゲームと並行してローラースケートにも熱中していたという梶原吉広さん。当時人気だった光GENJIに影響されたそうで、通っていたリンクは休日にもなると午前中で貸靴がなくなるほど流行っていたんだとか。インドアな印象がありましたがこうした活発な一面もあることが分かりました。

     

    実は梶原吉広さんは勉強よりも運動の方が好きだったとか。学生時代は常に体育の成績が良かったみたいです。勉強はできるタイプではないらしく、テスト勉強や受験勉強もギリギリになって詰め込むタイプだったようです。ただ、直前に詰め込んでなんとか良い点を取ることができていたようですね。

     

    梶原吉広さんは仕事や日々の生活で疲れた時に、マッサージに行ってリフレッシュしているそうです。マッサージのリラクゼーション効果で、心身共にリラックスしているようですね。マッサージは血行が良くなって疲労の回復を助けたり、自律神経のバランスを整えてくれるそう。全身マッサージのほかに、頭・首、足裏などその日の体調によってマッサージする部位を変えているようです。

     

    そんな梶原吉弘さんは、独身時代は一人で行動するのが平気なタイプだったと語っています。一人焼肉も経験したことがあるのだとか。現在は奥さんである山本梓さんと、お子さんの三人で出かけることが多いようです。

     

    映画館やゲームセンターも一人で行くことが多かったそうで、一人カラオケもよくしていたのだとか。動物園や水族館も、行こうと思えば行けるとのこと(自ら一人で行くということはなかったようです)。色々な所へ一人で行けるようなので、一番難易度が高そうな一人ディズニーも、梶原吉弘さんなら行けるかもしれませんね。

     

    将来は地元・福岡に何か貢献できることをしてみたいという梶原吉広さん。東京で起業していますが、最終的には地元で何か事業を立ち上げて福岡の良さをもっとアピールしたいと語っています。今後の活躍にも期待したいですね!

  •  梶原吉広さんの経歴解説

     

    スマートフォン

     

    ~梶原吉広さんの経歴~①ソーシャルゲームに出会うまで

     

    少年時代は北九州市で育った梶原吉広さん。子供の頃から何にでもチャレンジする性格で好奇心旺盛なタイプとインタビュー記事で書かれていました。どちらかというと、自分自身の考えを信じ、そこに向かって実行出来る人物だったようです。

     

    梶原吉広さんは幼少期に体験した怖かった出来事として、自転車に乗っていたら坂道で急にブレーキが効かなくなったことを語っています。車にぶつかったりとか大怪我になったりとかはしなかったようですが、いまでも忘れられない思い出のようです。

     

    幼少期はとてもカラフルで色づかいが素晴らしいエリック=カールの名作『はらぺこあおむし』という絵本が大好きだったという梶原吉広さん。大人になってからも何度か読み返したことがあり、いまだに読み返す度に発見がある絵本だと思うと話していました。ちなみにお子さんにも読み聞かせているようです。

     

    そんな梶原吉広さんの子供のころの夢はクリエイターだったとか。絵が好きで得意だったこともあり、イラストレーターを目指していたこともあったようです。ファッションデザイナーや、ゲームデザイナーもなりたい職業だったのだとか。夢が叶っているといえますね。

     

    中学3年生の時には趣味でDJをしたり、高校時代にはイベント企画を手掛けたりと、その好奇心旺盛ぶりがうかがえます。失敗を恐れずに自分自身で道を切り開くことが出来るそんな性格だからこそ、“起業家 梶原吉広”が生まれたのではないでしょうか。

     

    高校を卒業した梶原吉広さんは、ファッションデザイナーを夢見て、服飾の専門学校に入学します。しかし、専門学校の卒業生にはショップ店員になる人が多いことを知り、ファッションデザイナーになる夢を諦めて東京に出ることを決めます。

     

    以前、妻である山本梓さんに教えてもらった前世を占いサイトでは「作曲家」と診断されたという梶原吉広さん。そのサイトによると、大工や作家・音楽家など人の生活や心を豊かにする創作を行う人物であったと書かれていたそうです。昔から何かを創造するのが好きということも当てはまることから、今を考えると作曲家ではないけれど前世が作曲家というのはあながち間違えではないのかなと話していました。

     

    東京に出た梶原吉広さんは紆余曲折ありながらも300万円を貯め、2005年に友人と3人で「有限会社グローバルメディアソリューション」(現株式会社glops)を設立。

     

    当時グローバルメディアソリューションは広告代理店として紙広告を扱い、ゲームなどのインターネット媒体とは無縁の会社でした。

     

    起業してから3年ほどが経ち、事業も順調になってきた頃、梶原吉広さんはソーシャルゲームに出会います。

    畑違いの事業ではありましたが、見た瞬間にこれを事業にしたら面白いのでは?と直感的に感じたそうです。

     

    梶原吉広さんはすぐに行動をおこします。

     

    広告代理店で得た資金を使い、SNS分野へと踏み込むのです。インターネットの世界では素人だった梶原吉広さんは、当初はなかなか上手くいかず悪戦苦闘の日々だったそうです。

     

    初めて行ったのが、Adobe社のFlexという技術を使って、パーソナルホームページとSNSの機能を組み合わせたサービス「nendo.tv」。しかしこれが当たりません。

     

    ここで諦めず、インターネットの可能性の大きさに確信をもったという梶原吉広さんは、思考錯誤を繰り返しモバイル事業へとたどりつきます。

     

    2008年に「REAL」という携帯電話向けのSNSを始めます。期待を寄せるも、こちらのサービスもなかなかユーザーが集まりませんでした。

    活躍

     

    ~梶原吉広さんの経歴~②gloops代表としての活躍

     

    決死の思いで、2009年に「渋谷クエスト」というゲームを始めます。

    渋谷クエストは気軽に遊べるゲームとしてライトユーザーにうけヒットを記録し、口コミやネットなどでじわじわとそのウワサが広まっていきます。

     

    モバゲータウンがオープン化した直後に渋谷クエストをリリースすると、数日で会員数が30万人と予期せぬ事態にサーバーはダウン。3日間で30回から40回ほどダウンし、当時約10人のメンバーでひたすら手動でアップしていたそうです。

    想像するだけでも過酷ですね…。その後は借りていた海外のサーバーをすべて国内に移し、広告業をやめてソーシャルゲーム事業1本にしたそうです。

     

    グローバルメディアソリューションは様々なソーシャルゲームをリリースし、順調に業績を上げていきます。

    最初は社員が3人だった会社も、1年半で150人になるところまで成長しました。

     

    当時GMSだった頃リリースした「大乱闘!!ギルドバトル」は、2010年にMobageでスタートしたソーシャルゲームで、登録ユーザー数は144万人を超える程の人気を博していました。

    当時からこのゲームではガチャを回して獲得した武器や防具、キャラクターでボスを討伐するという討伐ガチャなどがありました。アイテム課金を2010年頃からやっていたということですね。

    大乱闘!!はギルドバトル以外にもたくさんのシリーズをリリースしていて、多くの人を楽しませていたのがわかります。

     

    そして2011年8月29日に「株式会社gloops」へと変更します。

     

    梶原吉広さんがここまで手掛けた株式会社gloopsは現在も様々なソーシャルゲームを提供しています。

    「SKYLOCK」や「大戦乱!!三国志バトル」などのゲームは広告などで見たことがあるという人も多いかもしれませんね。

     

    アクションゲームやパズルゲーム、RPGゲームなど多くのゲームを提供しているので、ゲームは苦手という人も、楽しく遊べるような色々なジャンルのゲームを提供し、多くの人を楽しませています。色々な人と楽しむこともソーシャルゲームということもあり、プレイしたことがある人も多いかもしれません。

     

    2012年にgloopsを韓国系のオンラインゲーム企業ネクソンに売却した現在の梶原吉広さんは、シンガポールに拠点を置き新たな事業を海外にて行っています。常に向上心を持ち、困難が訪れても柔軟な発想で次々と新たなことにチャレンジする精神で今も活動しているでしょう。

     

    ちなみに梶原吉広さんは、2018年の気になるニュースとして「グノシースポーツ」というアプリがリリースされたことを挙げています。とくにお気に入りの球団を登録できる「マイチーム」機能に注目しているとのことです。

     

    梶原吉弘さんの最近の気になるニュースは、携帯電話の一部機種でLINEアプリサービス提供が終了するニュースとのこと。バージョン10.17.0未満のサポート終了にあたり、一部機種で10.17.0以上にアップデートできないことが原因なのだとか。2013年頃発売したiPhoneや2016年発売のフィーチャーフォンなどが対象。ものを大事に使うことは大切だが、バージョンによって提供できるサービスが限られてきてしまうのはゲームアプリに通ずるところがあると語っていました。

     

  • 梶原吉広さんが創業したgloopsとは

     

    ―2011年、株式会社gloops(グループス)誕生―

    株式会社gloopsの創業者は梶原吉広さんです。

    gloopsがどんな事業を行っているのか、これまでの経歴を踏まえ解説します。

     

     

    2011年8月29日、社名を変更します。

    「株式会社グローバルメディアソリューション」から現在の「株式会社gloops」が誕生しました。

     

    社名を変更後も事業は順調に進み、11月には運営していたソーシャルゲームの累計館員数が1000万人を突破します。

     

    2012年4月25日、Mobageから「Partner of the Year 2011」を受賞します。

    パートナー企業の中でユーザーの支持を最も多く集めた企業として表彰されました。

     

    これはDeNA主催の「Mobage Award 2011」の中の1つの賞です。「Mobage Award 2011」は、Mobage上で公開されたソーシャルゲームの中から2011年4月~翌年3月までの1年を通して特にたくさんのユーザーに支持を得たゲームを評価・選出。そのゲームに係わったスタッフの功績を称えるために贈られる賞で、同年新たに設立されたそう。

    そんな輝かしい賞を、梶原吉広さんが設立したgloopsが受賞しています。

     

    2012年には「とことん野球応援プロジェクト」というプロジェクトが成功し、MLB開幕戦の冠スポンサーになりました。

     

    3月28日・29日に東京ドームで開催されたオークランド・アスレチックスVSシアトル・マリナーズの試合です。

    MLB開幕戦の特別協賛社となるにあたり、当時社長だった梶原吉広さんは「ファンの皆様、関係者の皆様に深く感謝するとともに、社員一同誇りに思っています。毎年、日本人選手が世界最高レベルのステージを求めてメジャーにチャレンジする姿は、海外展開を目指すgloopsの企業姿勢に通じるものがあります。この試合が皆様に感動を与え、記憶に残るものとなることを願ってやみません。」といったコメントを発表していました。

     

    また、梶原吉広さんが創業したgloopsは、「とことん野球応援プロジェクト」の一環として、テキサス・レンジャーズとのパートナーシップ契約を締結。パートナーシップ契約を結んだことにより、日本メディア向けインタビューボードを独占契約したほか、レンジャーズのホームスタジアムやキャンプ地のサプライズスタジアムにgloopsの看板を設置したといいます。

     

    そのほかにも、梶原吉広さんが創業したgloopsは同プロジェクトについて積極的に取り組んでいます。同社は2012年に、宮城県を拠点に活動する少年野球チーム「石巻リトルシニア」の中学生16名の参加をサポートしている日米官民パートナーシップの「TOMODACHIプロジェクト」に対し、ダルビッシュ有選手とテキサス・レンジャーズ野球財団と共に寄付を行ったそう。日米における国際交流への貢献活動についても重要視しているということでしょう。

     

    とことん野球応援プロジェクトに関しては2015年の5月23日、梶原吉広さんが創業したgloopsのNEWSページにもその詳細が掲載されています。

     

    野球場へ観戦に行くのが難しいという人のために「gloopsシートプログラム」を実施。

    北海道の札幌市、その札幌市長に表彰されたというニュースもありました。

     

    主に、東日本大震災で被害を受けて札幌へと退避している人たちへの支援などをおこなったそうです。

    札幌市長の上田氏と、gloops代表の川方さんの写真をホームページで見ることができます。

     

    これが、とことん野球応援プロジェクトの活動一環です。

     

    また、梶原吉広さんはこのプロジェクトの魅力について、野球のおもしろさを幅広い人に伝えられることと語っています。野球をスマホゲームとして提供することで、野球に興味のなかった人にも親しみをもってもらい、野球が好きな人にゲームとして野球を楽しんでもらえたことが良かったようです。

     

    とことん野球応援プロジェクトは梶原吉広さん創業のgloopsが手掛けているソーシャルゲーム、「大熱狂!!プロ野球カード」の関連で始まったものです。

     

    この大熱狂!!プロ野球カードを手掛ける中で、gloopsはオリックスや、楽天との契約を結び、野球業界に深く関わってきました。そうした中でもっと野球ファンに野球を楽しんでもらいたい!との思いから、野球が好きな全ての人を応援するために、とことん野球応援プロジェクトは実行されています。

     

    gloopsシートプログラムは、数多くの球場で行われました。福岡にあるヤフージャパンの野球ドームや、地図で見ると丁度反対側にある札幌ドーム。ナゴヤドームや東京ドームなども、その対象となっていました。

     

    福岡のヤフージャパンの野球ドームは正式名称を「福岡ヤフオクドーム」と言います。

    ヤフオクドーム、という名前で呼ばれることが多いようです。元々「福岡ドーム」と呼ばれていて、多くの人が利用していました。そのような有名なドームも協力するほどのプロジェクトだったのです。

     

    また、梶原吉広さん自身も野球が好きだそうです。野球においては見るのもやるのもどちらも好きなんだとか。

    ちなみに野球を好きになったキッカケは「ドカベン」や「タッチ」など野球漫画の影響が大きいと話しています。「タッチ」に関してはコミック全巻をいまだに持っており、シンガポールの自宅にも置いてあるそうです。

     

    そして2012年に韓国系オンラインゲーム企業である「ネクソン」にgloopsを売却。

    ネクソンは、モバイルゲーム市場の急成長を見込み、gloops株式取得を通して本格的なマーケット参入を決めたと言っていいでしょう。

    一方梶原吉広さんが創業したgloopsは傘下に入ることで、強みであるソーシャルゲームをグローバルに事業展開をする上で、ネクソングループが有するユーザー基盤、ゲーム運営力、パートナーネットワークを活用することでグループとの相乗効果を最大限に受けられると考えたようです。

     

    1994年に設立したネクソンは、ワールドワイドな人々に楽しまれているゲームタイトルのポートフォリオを展開する国際的エンターテインメント分野の先導者とのこと。幅広い年代のプレイヤーが何十年にもわたって楽しめるゲームを創り出し、維持しているそう。現在は50を超えるタイトルのオンラインゲームを世界190か国以上で配信しているといいます。

     

    同社を代表するタイトルと言えば、「メイプルストーリー」でしょう。業界トップレベルのライブ運用により、いつでも魅力あふれるサービスやコンテンツを供給することで、10年以上にわたり成長してきたそう。また、テクノロジーの発展により、「メイプルストーリーM」のような深いマルチプレイヤー・オンラインゲーム体験、大規模な仮想世界をモバイルでも提供できるようになったとのことです。

     

  • 2014年1月 梶原吉広&山本梓結婚

    運命の赤い糸

     

    二人の馴れ初め

     

    2人は、結婚する2年前に共通の友人の紹介で知り合い、梶原吉広さんが山本梓さんに一目ぼれしたそうです。

    梶原吉広さんがヨーロッパ出張の際、山本梓さんを一緒に連れて行き、何カ国か周ったそうです。その後、エーゲ海に浮かぶクルーザーの上で告白し、2人の交際がスタートしたそうです。交際が始まったのは2013年の夏頃だと言われています。

     

    エーゲ海と言えば、バルカン半島とアナトリア半島近く。もっとわかりやすく言えば、ギリシャとトルコの近くにある入り江のステキな海!日本でも大人気の観光地で、憧れの人も多いはずです。

     

    青い空、暖かな日差し、透き通るような海。その上をクルージングして告白とは、梶原吉広さんはロマンチックな人柄なのかもしれませんね。

     

    また、エーゲ海クルージングの良いところとして、まるで絵画のような観光地を巡ることができるという点が挙げられます。白亜のような美しい神殿などの古代建築物を見学した後は、美味しい地中海料理なども楽しめるため、最高のひと時を迎えるにはぴったりですね。

     

    半年ほど交際を経て梶原吉広さんと山本梓さんは結婚となりました。

     

    梶原吉広さんは、gloopsを売却していたこともあり、当時34歳にして300億円もの資産を持っていたといわれていました。

     

    シンガポールにて事業展開していた梶原吉広さんと、日本で人気グラドル、タレントとして活動をする山本梓さんは遠距離恋愛でした。そんな中、山本梓さんがたびたびシンガポールに訪れ、距離を縮めていたようです。

     

    山本梓さんは、大のゲーム好き。梶原吉広さんはソーシャルゲーム会社の元社長。共通の趣味などで分かり合える部分もあり、意気投合したのかもしれませんね。

     

    ちなみに梶原吉広さんから見た山本梓さんの第一印象はズバリ「テレビで見るより実物の方が断然にキレイ」だったそうです。出会うまではテレビ越しで何度か拝見したことがあったそうで、キレイだなと思っていたそうですが、実際にお会いしてみるとやはりテレビよりキレイな方でビックリしたそうです。そして、その時はまさか後に自分の妻になるとは思いもしなかったと語っています。

     

    そんな山本梓さんの好きなところについて、梶原吉広さんは「料理上手で家庭的な面も好きだけれど、やはり一番は自分のことを理解してくれているところ。シンガポールにも付いてきてくれた」と話しているようですね。当初は遠距離恋愛だった2人ですが、最終的にはシンガポールにも来てくれた嫁さんである山本梓さんにはだいぶ支えられているとも話しています。

     

    山本梓さんと梶原吉広さんの間には第一子も生まれたそうです。

    どうやらお二人は幸せなシンガポール生活を送られているようですね。

     

    仕事後、家に帰宅してひと段落出来る22時~24時の時間帯が好きだという梶原吉広さん。仕事も好きですが、家に帰宅後、子供を寝かしつけた後に妻である山本梓さんとゆっくり会話できるこの時間帯がなによりも好きなんだそう。家族思いの一面を見ることができました。

     

    現在の生活の様子まではなかなか報道されることもありませんが、大好きなペットの犬に囲まれ、家族3人でシンガポールでの家族生活を満喫してほしいです。

  • シンガポールではセレブ生活?

     

    シンガポール

     

    シンガポールでの生活ぶり

     

    梶原吉広さんと山本梓さんはシンガポールで結婚生活を送っているそうです。

     

    もともとシンガポールで事業を行っていた梶原吉広さん。

    遠距離恋愛だった2人ですが、結婚を機に山本梓さんもシンガポールへと移り住みます。

     

    住んでいるのは世界中のセレブが集まるシンガポールのマンションと言われています。

     

    2014年12月、山本梓さんは第一子を出産。マタニティフォトとともに、「明るい家庭つくりたい」とブログで発表しました。

     

    現在、グラビアアイドルとしての活動をやめて芸能界を無期限休止している山本梓さんですが、お子さんにも恵まれ、シンガポールで幸せな暮らしを送っているようです。

     

    シンガポールは日本国内でも人気の国で、観光旅行にシンガポールに行く、という人は多いと言われているほどです。日本人になじみのある国という気がします。

     

    こちらの写真で見ることができるように、マーライオンでも有名ですよね。シンガポールのマーライオン公園と言えば、シンガポールに旅行に行った日本人のほとんどが行くとも言われているようです。

     

    山本梓さんと梶原吉広さんは、現在シンガポールでどのような暮らしをしているのでしょうか?

     

    詳しくはわかりませんが、シンガポールはリッチ層向けの、セレブな施設が沢山あります。マリーナベイ・サンズは、まさにその代表的な施設の1つでしょう。シンガポールの高級リゾートホテルの1つで、高い位置にあるプールから、シンガポールの美しい街並みを眺められます。

     

    マリーナベイ・サンズの特徴と言えば、豪華なスイートルームや全世界の美食が楽しめるレストランなどが有名ですが、何よりプールではないでしょうか。「インフィニティプール」と名付けられたこのプールは、「世界最大」の屋上型プールとして、世界に名を轟かせています。

     

    マリーナベイ・サンズの屋上は、まるで船が乗っているような形状になっており、それだけでも特徴的です。その上に、一面のプールがあるのです。

     

    ちなみに梶原吉広さんがシンガポールで好きな食べ物は「チャークェティヤオ」だそうです。「チャークェティヤオ」とは米粉で作られた麺の焼きそばのことで、移住してからこの食べ物の存在を知ったんだとか。シンガポールの屋台ではよく見かける地元民のソウルフードだそうです。注文する際にチリの量を好きに決められることもあり、辛いものが好きな人にはオススメな食べ物なんだそうですよ。

     

    梶原吉広さんや山本梓さんのようなセレブカップルでいっぱいなのでしょうね。

     

    マリーナベイ・サンズで、もしお二人が過ごすとしたらどのようなシーンでしょうか。梶原吉広さんと山本梓さんと言えば、やはり二人に共通しているのはエンターティナーという部分ではないでしょうか。

     

    現在、シンガポールで山本梓さんと生活を送っている梶原吉広さんですが、今後行ってみたい国にボリビアを挙げています。ボリビアといえばウユニ塩湖が有名ですが、ボリビアには沖縄からの移住者が作り上げた「オキナワ」と「サンファン日本人移住地」と呼ばれている日本移住地があり、そこに興味があるんだとか。観光地ではないそうですが、ボリビアに行った際には立ち寄ってみたい場所の一つだと仰っていました。

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    ビル

     

    シンガポールについて

     

    シンガポールの正式名称は、「シンガポール共和国」。東南アジアにある島国で、日本との時差は1時間と少なく、1年中暖かい気候です。

     

    主な言語は、英語、中国語、マレー語、タミル語。東京23区と同じくらいの広さながら、マーライオンをはじめ、ナイトサファリやマリーナベイサンズなど観光スポットがたくさんあり、日本人の旅行先として高い人気があります。

     

    4つの公用語ですが、憲法やシンガポール共和国独立法に規定されているのだとか。1965年にマレーシアから独立した際、英国統治時代に行政・法律・貿易で使われた英語のほか、当時のシンガポールの主要な民族の言語が公用語として採用されたようです。しかし、シンガポール政府が英語・中国語の普及を促してきたこともあり、同国で使用されることが多い言語は英語と中国語だそうです。

     

    ナイトサファリの開園時間はおよそ、19:00~24:00だそうです。行く機会があったら、まずエントランス・プラザで毎晩公演されるというトライバルショーを見てみましょう。伝統芸能をパワーアップしたショーとのことで、シンガポールのことをよく知ることができそうです。マレーバクやボンゴなど珍しい動物もいるようです。

     

    あとはシンガポール動物園(マンダイ・ズー)も人気の観光スポットでしょう。珍しいコビトカバやホワイトタイガーなどがいます。ウンピョウ、コモドオオトカゲも見どころではないでしょうか。この動物園の最大の特徴はオープン・ズー。柵や檻を最小限にとどめていて、動物たちは自然に近い環境でのびのびと暮らしているようです。

     

    ガーデンズ・バイ・ザ・ベイは、101haほどもある巨大植物園です。こちらも観光スポットとして有名。18本の巨大人工ツリーのある「スーパーツリーグローブ」のほか、約1.2haの「フラワードーム」、約35mの人工山から流れる滝の「クラウド・フォレスト」などがあるそう。一部有料エリアもありますが、無料エリアだけでも十分楽しめるようです。

     

    シンガポールのチャンギ国際空港は充実の施設が特徴で、さながらテーマパークのようだと観光名所の1つとなっています。化粧品、ハイブランド、電子機器、お土産、世界各国の料理、本格的なローカル料理などが揃い、世界最多の受賞歴を誇る空港なのだとか。ほかにもプールやバタフライガーデン、大きな滑り台まであり、見どころ満載です。空港だけでも何日も楽しめそうですね。

     

    チャンギ国際空港直結の複合施設「Jewel(ジュエル)」も観光名所の1つとのこと。2019年4月にオープンしたこの施設は、約17億シンガポールドル(日本円にして約1400億円)の費用がかけられたのだとか。ジュエルの名に相応しい、宝石のような外観の巨大施設です。ガラスと鉄で構成されたドーム型で、建物自体がアートのよう。たくさんのショップや飲食店が入っており、ホテルやラウンジもあるそうです。中心部は緑に溢れ、世界最長の屋内人工滝が流れています。夜には水が美しくライトアップされる光と水のショーも開催されるため、幻想的で壮大な景観が楽しめるようです。

     

    また、近年は旅行だけでなく、シンガポールへ移住する富裕層の方が増えています。山本梓さん・梶原吉広さん夫婦もそのうちの一組ですね。日本人だけでなく海外の著名人らも数多く移住をしています。

     

    シンガポールは多民族国家のため、民族衣装も様々なものがあるようです。今回はその中でも伝統的な民族衣装「サロンケバヤ」について書きたいと思います。

    マレー系の女性用民族衣装で、伝統的なとうけつ染めの模様が特徴です。スカートは膝下からスリットが入っています。

    このサロンケバヤは、シンガポール航空の制服にも使用されているとこのことで、フライト時からシンガポールを感じられるのではないでしょうか。

     

    シンガポールのケバヤは、歴史的にプラナカン文化と関わりがあるそうです。様々な用途に適していることから、ケバヤは数多くのグローバルな洋服ブランドのデザインに取り入れられているのだとか。
    伝統的なケバヤは、チャイナタウンやリトルインディアのほか、オンラインでも購入可能です。しかし、体型に合ったドレスが作れるテイラーメイドが一般的だそうです。

     

    ケバヤの一番古い形式は、既存の女性用ケンバンを新しく採用したイスラム教に合わせて控えめで許容できるように貴族の女性の胴体を包み調和するための手段とした、ジャワ島のマジャパヒト王国の宮廷に由来するのだとか。アチェ王国、リアウ、ジョホール王国、スマトラ北部ではよりスタイリッシュな君主が社会的な地位の表現方法としてジャワスタイルのケバヤを取り入れたそうです。

     

    現在知られているジャワのケバヤは、1817年にトーマス・ラッフルズにより言及されています。のちの数百年間、宗教的な文化の移り変わりにより、衣類は高度に地域化された民族文化、芸術性、仕立ての伝承の表現となったそう。典型的なジャワのケバヤの構成はその当時のものと変わっていないようです。

     

    綿のブラウス、シルクとレース、錦かビロードのブラウスが中央で合わさる部分でブローチ(ケロンサン)によって留められているスタイルですが、伝統的なケバヤは前面にボタンがないのだとか。通常3つのブローチで構成されており、基になるケロンサン イブと2つのケロンサン アナクで構成されているそうです。

     

    ケロンサンのブローチは金や宝石が用いられ、上流階級や貴族の社会的地位が示されるそう。一般市民などはシンプルでごく普通のケバヤで、安全ピンで留められているとのこと。ブラウスは半透明でクンベン(胸当て布)を着用するか、布を胴に巻くそう。そして下はスカートをはくか、約3mの余裕のある布地のカインを巻くようです。

     

    現代では、トラディショナルなケバヤからは離れ、デザイナーはデザインのブラッシュアップを行い、より洗練された衣服となっているそう。インフォーマルなケバヤはスカートやデニムと同じように着用できます。結婚式といった正式な催し物でも同様に、たくさんのデザイナーがほかのタイプに広げ、レースの編まれた婚礼用ケバヤなども作られているようです。

     

    近頃のケバヤは洋服のホックやチャック、ボタンが取り入れられているほか、中に着るものもトラディショナルなものと比較して全体的に非常に簡素化されているようです。

    シンガポール航空では女性客室乗務員で同社の顔でもあるシンガポールガールが着用するユニフォームに、ボディラインがわかるようなデザインのケバヤが採用されているのだとか。

     

    シンガポール航空のサロンケバヤは昭和43年にパリのファッションデザイナーであるピエール・バルマン氏によってデザインされたそう。プラナカンの伝統工芸に着想を得たとされ、生地はバティック染を用いているといいます。その特徴的な絵柄は、マレーシアやインドネシアなど東南アジアのトラディショナルなバティック柄をモチーフにしており、繊細な模様と多彩な色使いが美しく目を引きます。

     

    他にも、「バジュ・クルン」というシンガポールのマレーシア人が多く着ている伝統的なドレスがあります。裾が長く広がった形のスカート、長袖・膝丈のブラウスがセットになっています。伝統的なデザインは、ふんわり・ゆったりしていますが、最近のデザインはより身体にフィットしたデザインが流行っているようです。様々な色やパターンと、アクセサリーを組み合わせているそう。素材は綿、シルク、ブロケードと多彩です。

     

    男性用のマレー系の民族衣装は、「バジュ・メラユ」です。この衣装は、丸首に、長袖・長ズボンのスタイル。それだけだとホームウェアのような感じですが、腰回りに「サンピン」と呼ばれる布を巻き、「ソンコ」という帽子を被るのが特徴なのだとか。シンプルな服の上に、腰巻の柄や巻き方でオシャレを演出しているようですね。

     

    チャイニーズスタイルだと、「チョンサム(またはチーパオ)」という伝統衣装があります。

    中国の伝統的なチャイナドレスですね。優美なアジアファッションの代表的な衣装で知られています。スレンダーで身体にフィットした色鮮やかなドレスです。素材はシルクや綿を使用していて、カクテルドレスにもなります。特別なものを探すなら、シンガポールのチャイナドレス高級店へと足を運んでみるといいでしょう。

     

    梶原吉広さんが暮らしているシンガポールには様々な名物グルメがあります。そのうちの一つ、ジンジャーチキンは、薄くスライスしたキュウリの上に、蒸したチキンを乗せ、お皿の中央にジンジャーソースが盛られている大皿料理です。別皿には一口大のレタスがあり、レタスにキュウリとチキン、ジンジャーソースを乗せて食べるそう。焼肉をサンチュで巻いて食べるのに少し似ていますね。

     

    シンガポールの朝食として人気なのが、「バクテー」です。骨付きのスペアリブを漢方やニンニクで煮込んだスープ料理だそう。漢方と聞くと少しとっつきにくいイメージがありますが、シンガポールのバクテーはコショウが効いたさっぱり系のスープが特徴。長時間煮込まれた豚肉は柔らかく、ほろほろと溶けてしまうほどだそうです。

     

    バクテーやチキンライスと並ぶ、シンガポールのローカルフードと言えば「ラクサ」です。ラクサは麺料理で、ココナッツミルクをベースに魚介系のだしとスパイスが効いた、甘くてスパイシーな独特の風味のスープが特徴。そこに、米粉で作った麺が入っています。甘辛なスープが食欲をそそりそうですね。ココナッツミルクベースなのでまろやかな感じでしょうか。

     

    バクテーと並んで朝食で食べられているのがカヤトースト。カヤトーストは、ココナッツミルクをベースに、砂糖、卵、パンダンリーフという香草を煮詰めて作った「カヤジャム」とバターを挟んだトーストで、シンガポールで昔から食べられているローカルフードなのだとか。お店によってパンの種類や厚み、焼き方などは様々。南国ならではの味わいを楽しめそうです。

     

    フィッシュヘッド・カレーは、その名の通り魚のお頭付きカレーです。歯をむいた魚の頭がそのままカレースープに浸かっているという、なかなかインパクトのあるシンガポールの名物料理。魚と一緒に煮込まれた野菜、数種のスパイス、酸味の元となるタマリンドとの味のバランスが絶妙なカレーとのこと。酸っぱくて辛いシンガポール・インディアンな風味が口の中に広がります。

     

    サテーは、東南アジア諸国で広く食べられている串焼き料理で、マレー風の焼き鳥とも言われます。チキンのほかにも、マトン、ビーフもあるそう。香辛料を漬け込んだ肉を串焼きにして、ビーナッツを使った甘辛いソースを絡めて食べます。大抵のホーカーズやフードコートで売られています。だいたいが12本で販売されているそうなので、地元の人たちのように友人や大切な人とシェアしてみてはいかがでしょうか。

     

    フライド・ホッケンミーは、中華系のホーカーズに十中八九あるというシンガポール定番グルメです。麺料理の一種で、太い卵麺とビーフンを海鮮の出汁で炒めた塩味の焼きそばとのこと。イカやエビが入っていて、プリプリとした食感が楽しめます。ライムを絞ったり、サンバルというチリソースを付けて食べるのがおすすめだそうです。

     

    プラウンミーは、濃厚な海老のエキスがたっぷりの麺料理です。店舗によっては、ホッケン・プラウンミー(福建蝦麺)のほか、シンガポール・プラウンミーなど様々な呼び方があります。そして、トッピングの具材もお店によっていろいろあるそう。シンガポールの中でも正統派中華料理のスタイルを貫いているため、豚肉が入っていることもあるようです。

     

    シンガポールでおすすめの料理の1つ、チャークイティオは、エビや魚のすり身、アサリ、もやしなどの野菜、中華風ソーセージなどと平麺を炒めた醤油味の麺料理です。ホーカーセンターやレストランでも注文可能。熟練のシェフになると、麺を高温で調理することで、燻したような風味を生み出すそうです。

     

    エイのバーベキューは、屋台発祥のグルメです。ホーカーでも人気のシーフード料理で、定番はエイにとろみのあるサンバルソースをかけて焼き上げたものなのだとか。サンバルソースは、スライスしたトマト、鷹の爪、エビのペーストをベースとした香辛料が効いた調味料です。日本ではなかなかお目にかかれないエイ料理を、堪能してみてはいかがでしょうか。

     

    チャーシューは、中国起源のシンガポール料理として人気があるそう。チャーシュー丼やチャーシュー麺がよく食べられているとのことです。チャーシューは、豚の赤身肉とバラ肉をタレに漬けて焼くのだそう。目の前で切り分け、ご飯や麺の上にトッピングしてくれるようです。絶妙な甘辛ダレが後を引きます。

     

    オイスターオムレツは、小麦粉を溶いた卵のオムレツに牡蠣をたっぷり加え、コリアンダーの葉、シャキシャキとしたもやし、甘辛いソースを添えた一皿。好みに合わせて、ふっくらと仕上げたり、パリッと焼き上げたりできるそう。ホーカーでもよく見かける人気料理で、シンガポールでは「Oh Luak」、「O Chian」とも呼ばれるそうです。

     

    ナシレマは、ココナッツミルクで炊いたご飯とオムレツ、キュウリのスライス、アンチョビ、チリペーストをバナナの葉や包装紙に盛り付けたボリューミーな一品。具とご飯を混ぜて食べるので丼飯に近い感覚ですが、一番大事なのはお店ごとに異なるチリペーストとのこと。単に辛いだけでなく、うま味を大切にしているそうです。バナナの葉で食べると気分も上がりそうですね!

     

    シンガポールは、医療水準がとても高く近隣諸国の外国人がわざわざ治療を受けに訪れるほど定評があります。また、世界各国のインターナショナルスクールがあり、教育水準も高い国です。治安も良く税金も日本に比べて低いので安心して暮らせるのが理由かもしれません。

     

    実はシンガポール、意外な日本との共通点があります。それは大きさ!面積は約700平方キロメートル程度なのですが、これが東京にある23区とほぼ同じ程度の大きさ♪ なんとなく親しみが沸いてくるような気がします!

     

    また、シンガポールは産業から言っても、安定しているという事が言われています。主たる産業は、製造業なのです。

    エレクトロニクスや化学製品、精密機械など、幅広いものを作っています。また、ビジネスサービスなども主産業の1つです。こうした産業は、ものを作り続ける限り、世界から消えません。

     

    シンガポールは税金などの都合上で多くの企業も集まると言われていますから、そうした産業も成長しやすいらしいです。

     

    梶原吉広さんがシンガポールを選んだのはこういった理由からなのかもしれません。

     

    また、新型コロナウイルス対策で注目を集めるシンガポールは、在宅勤務のための奨励金、チャットボット及び市民に情報伝達するWhatsAppチャンネルを含む国の初期対応など、WHOからも称賛を得ています。また、世界で初めてコロナ感染者を追跡し濃厚接触の可能性を知らせる“接触追跡アプリ”をリリースした国とのこと。さらにスマートフォンを持っていない人・アプリをインストールしたくない人に向けてアプリと同じように機能する物理的な小型端末「トークン」の配布も行っています。

     

    シンガポールは新型コロナウイルスが流行り始めた時、即座にシビアな旅行制限を設けるなど、病気になった人を特定するプロトコルを実施したといいます。これにより、感染者を支えながらも、接触者にたどり着くことができたのではないでしょうか。

     

    また同国は、これまでの伝染病対策の経験や、接触者の追跡、設備の整った医療システム、検査の普及、限定的なロックダウン措置、マスク着用やソーシャルディスタンスなど、これらの多くの施策を適切に実行し、パンデミック対応で効果を上げたと言えるでしょう。

     

    シンガポールのコロナへの対応は、同国の大がかりなデジタルトランスフォーメーションのきっかけとなった「シンガポール・スマート・イニシアチブ」の2014年スタート以来加速している流れが大きく貢献したといいます。この国のデジタル政策は、ウイルス流行の4段階(監視・予防と封じ込め・診断・治療)全てのプロセスの対処に繋がったそうです。

     

    疾病監視とは、感染源を特定することです。同国では、デジタルテクノロジーを用いた広範囲な接触者追跡システムを政府が採用。コロナ感染者とその接触者を特定するために「デジタル署名」の痕跡※が追跡されているそう。(※現金の引き出し、カード支払いといった日常生活を送る中で残したテクノロジー関連の痕跡)ただし、このような監視は説明責任と透明性のコミットメントに準じて行う必要があります。

     

    シンガポールのカジノは2006年にスタートしたそう。ラスベガスやマカオと比較すると歴史は浅いものの、同国は世界の銀行資本のひとつであり、たくさんのハイローラーがコンスタントに旅行しているといいます。シンガポールではカジノクルーズも増えてきているそう。自分に合ったカジノスポットを選んで楽しみましょう。

    入場料金ですが、旅行者など非居住者は無料。シンガポール市民や永住者は$150かかるようです。

     

    シンガポールのカジノには、特に服装規定(ドレスコード)はないため、Tシャツにジーンズといったカジュアルな服でも入場できるそうです。

    しかし、水着、ショートパンツといった過度な露出、スリッパやビーチサンダル、帽子、ヘルメット、サングラスの着用は認められていないようです。節度を持った服装で行くようにしましょう。

     

    マリーナ・ベイ・サンズはシンガポールマリーナベイに面した総合型リゾートです。2010年にラスベガス・サンズにより開業され、世界最大クラスのカジノをメインに、ホテルや映画館、ショッピングモールなどがあります。ホテルの最上階にあるプールは、世界一高い場所にあることでも有名です。15,000平方メートルの贅沢なカジノフロアには2,300機のスロットマシンがあり、250タイトルを超えるゲームを楽しめるそう。ライブゲームの最小掛け金はテーブル毎に違うようですが、最低S$25~だそうです。

     

    シンガポール・カジノ・クルーズは、1日中カジノで遊びながら、中華料理のビュッフェレストランを何回でも利用できるそう。街の喧騒から離れて、海風を感じながらリラックスできるでしょう。ブラックジャックやポーカーなど40のライブテーブルのほか、たくさんのスロットマシンを完備。最小掛け金は陸にある有名なカジノ店よりも低く、通常S$2 以下とのこと。

     

    夜の乗船料金はS$25~。プライベートキャビンでの宿泊は、平日は1泊S$40~で、週末はS$80~とのこと。海上で運試しをしてみようと思ったら、タナメラ・フェリーターミナルからノンガサプラ・フェリーターミナルまで 45 分間移動したのち、エーゲアン・パラダイス・クルーズ船に乗ります。カップルでも1人旅でも楽しめるでしょう。

     

     

    マーライオン

     

    シンガポールの観光名所

     

    梶原吉広さんが暮らしているシンガポールには様々な観光名所がありますが、とくに人気なのがマーライオン公園です。口から水を噴き出すマーライオンはもちろんのこと、マリーナベイサンズホテルも見渡せます。また、夜になるとライトアップされるため、絶景の夜景を楽しむことができます。毎晩開催される噴水ショー「スペクトラ」も見物です。

     

    セントーサ島は、シンガポールの南にある島。テーマパークや水族館といったレジャー施設が数多くあり、白い砂浜、青い海の美しいビーチなど見どころ満載な観光スポットだそうです。ほかにもゴーカート、ウォーターパーク、カジノまで揃っているので、子どもから大人まで楽しめるアクティビティが見つかるでしょう。

     

    セントーサ島には2010年に開園した「ユニバーサル・スタジオ・シンガポール(R)」があります。セントーサ島に存在するテーマパークの中で最大の面積を誇っているそうです。日本のユニバーサル・スタジオ・ジャパンと比べると少し規模が小さめなようですが、日本にはないアトラクションもあるので、日本のパークに行ったことのある人でも楽しめるでしょう。

     

    オーチャード・ロードは、シンガポールでショッピングを楽しみたい人におすすめです。シンガポールの中心街にあり、2.2kmにわたりショップが立ち並びます。百貨店や高級ブランドのお店もあり、バラエティ豊か。流行の最先端もオーチャード・ロードにあると言われるほどで、ファッション好きにはたまらないエリアでしょう。日系のデパートもあり、日本語が通じる店員さんや日本語表示もあるので安心してお買い物できるようです。

     

    ラッフルズ・ホテルはシンガポールにある最高級ホテルの一つと知られており、観光名所にもなっています。

    歴史を感じられるコロニアル様式の建築物が、数々の著名人を魅了し続ける名門ホテルとのこと。開業は1887年と伝統的なホテルで、1989年に改装作業が行われ、1991年に営業を再開したそう。全室スイートというラグジュアリーホテルで、優雅な時間を過ごせるでしょう。「シンガポール・スリング」というカクテル発祥の地としても知られています。

     

    マリナーズベイサンズは、あの有名な船型の天空プールがあるホテルです。シンガポールのシンボルの1つになりつつありますね。2010年にオープンしてからというもの、泊まりたいホテルランキングでも常に上位にランクインしているそう。上層階のシティービューのお部屋ではシンガポールの美しい夜景が一望できるので、カップルやファミリーにもおすすめとのこと。レストランも充実していて、ショッピングモール直結などアクセス面も良好です。

     

    マンダリン オリエンタル シンガポールは、“おもてなし”に重点を置いたホテルで、世界的にもリピーターが多いのだとか。落ち着いた滞在を求める人はもちろん、子ども連れにも配慮が行き届いた安心感があるホテルだといいます。扇の形をした館内は、内装もオリエンタルな雰囲気を演出。マリナーエリアの夜景のみならず、緑に囲まれたプールエリアは都会の隠れ家的な、リッチなリゾートとしての魅力を満喫できるでしょう。

     

    フラトン ベイ・ホテルは、フォトジェニックな5つ星ホテルです。レンガ色の建物と、前庭にある噴水が印象的で、どこか大人の雰囲気が漂っています。マリーナ湾エリアの中でも評判の高いホテルとのこと。噴水や客室から見える夜景など、フォトスポットが多いのも魅力です。ラグジュアリーな空間で非日常を味わえるでしょう。

     

    ザ リッツ カールトン ミレニア シンガポールは、マリーナ湾にほど近いマリーナスクエアに位置する世界的5つ星ブランドホテルです。マリーナ・ベイ・サンズがマリーナ湾を挟んだ向かいにあり、ホテルから見る夜景は別格だそうです。5つ星ならではのおもてなしが受けられるのも魅力の1つでしょう。クラブルームに滞在すれば、朝食・軽食・アフタヌーンティーなど、1日5回の食事を楽しめるラウンジが利用できるようです。

     

    マンダリン オーチャードは、オーチャード地区の中心に佇む立地が非常に良い5つ星ホテルです。オーチャードエリアはショッピングモールが集結しており、買い物や立地を重視していて、ホテルの質を落としたくないという人におすすめと言えるでしょう。1,077ある客室とスイートからは、シンガポール市街のスカイラインが望めるとのことです。

     

    スイソテル ザ スタンフォードは、シンガポール屈指の高層ホテルとのこと。最上階のバーからの眺めは、思わず息をのむほどだそうです。MRTシティーホール駅とショッピングモールのラッフルズシティ直結のためアクセスも良好。ホテル内にはミシュラン1つ星を獲得したレストランも入っているので、ホテルを重視したい人、カップル、子連れ家族にもおすすめだと言えるでしょう。

     

    グッドウッドパークは、100年以上の歴史があるヘリテージホテルです。歴史的建造物をそのままに、見事なコロニアルスタイルの高級ホテルとして生まれ変わったそう。クラシックな館内では、上品な調度品に囲まれ、優雅なひと時を過ごせるでしょう。アフタヌーンティーを提供するレストランラウンジでは、シンガポール名門のTWGの紅茶を提供しているそう。非常に人気なため、予約が必要とのことです。

     

    ラウ・パ・サ・フェスティバル・マーケットは、シンガポールの巨大ホーカーズです。「ホーカー」とは屋台を意味し、お手軽で美味しい料理を楽しめます。150年以上の歴史があるホーカーセンターで、2014年にリニューアルオープンしました。MRTラッフルズ・プレイス駅から徒歩7分ほどのオフィス街にあり、観光客以外にもビジネスマンで賑わっているスポットです。

     

    次に紹介するのは、「サルタン・モスク」。アラブストリートにあるシンボル的な存在で、少しエキゾチックな文化を味わえます。サルタン・モスクにはシンガポールで一番広い礼拝スペースがあり、金色のドーム状の屋根が特徴的。ディズニー作品のアラジンに出てきそうな建造物です。また、モスクを囲む塀に描かれている絵も見どころの一つ。モスクは見学もできますが、服装やマナーに注意しましょう。

     

    ナショナル・ギャラリー・シンガポールは、平成27年にオープンした世界最大スケールの美術館です。約64,000㎡あり、8,000点もの作品が展示されているのだとか。美術館の前は、シティホールと旧最高裁判所でした。1965年に初代首相のリー・クアンユーが独立宣言した場所でもあり、シンガポールの歴史的にも重要な建造物の一つです。また、旧最高裁判所時代の拘置施設も一部保存されていて、見学できるそうです。

     

    ボタニック・ガーデンは、美しい植物園です。2015年にシンガポールで初めて世界遺産として登録されました。園内はとても広く、いくつかのセクションがあるそう。「ナショナル・オーキッド・ガーデン」には、約6万本のランがあり、この中にあるVIPオーキッド・ガーデンには訪れた有名人の名前がつけられたランが飾られているのだとか。

    入場は無料で、ジョギングやピクニックをする人たちの姿も見られるそうで、住民の憩いの場となっています。

     

    ブギス・ストリートは混雑必至のアーケード街。天井付近から吊り下げられている洋服や派手なネオン飾りなど、また少し違ったシンガポールを楽しめるそう。お店や屋台などが約800店もひしめき合い、お土産探しにもおすすめのスポットです。ブギスエリアは若者向けの商品がたくさんあり、ほかのショッピング街と比較するとリーズナブルなところもポイント。買うものが特になくても、活気あふれる雰囲気を味わってみるものいいでしょう。